たましいの安らぎ

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     重荷を負ってイエスのもとに行くとき、私たちは安らぎを受けます。そして、そのくびきを負い、イエスから学ぶとき、イエスの安らぎが私たちのたましいの中に入ってきます。

     イエスについて学ぶには、へりくだった心と真剣な決意が要求されます。これはイエスのみことばを読み、その教えを心から受け入れ、そして、喜んでそれに従って生きようとすることを意味します。その結果、新たな静けさを経験します——理解を超えた平安がこのようにやって来ます。

     イエスに従って生きるとき、私たちはイエスの柔和さ、心の優しさ、本質的な安らぎといった性質を受け取ります。なぜなら、イエスの愛に従って生き、その教えに従って考えることで、私たちのたましいの中に結婚のようなものが生じるからです。私たちの中のたった一つの決意——我意との決別——この中でイエスの愛と真理は結ばれ、そして私たちのたましいは安らぎます。今や私たちは「いこいの水のほとり」に導かれ、「安らかないこいの場」に住むことが何であるのか知り始めています。一日のよい労働のあと、暖炉の火のそばで休むのは心地好いものですが、私たちの内部に深く、主の安らぎを持ち、その愛の暖かさを常に感じるほうがどれほど勝っていることでしょう。

     この安らぎの賜物は、今やたましいの中に席を占め、そこから私たちの行なうあらゆることに入ってきます。幸福に輝く暖かな感情が、利己的な心配の欲求不満に取って代わります。

    イエスは、「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされる」〔ヨハネ 15・11〕ことを望む、と言われました——そして喜びはここに、イエスが私たちのたましいに注ぎ込まれた安らぎの中にあります。

     心とたましいから主を愛し、自分自身を愛するかのように、お互いに愛し合いながら、主の戒めに従って生きること——これが主のくびき、私たちが自分自身で負うようにと命じられたくびきです——安らぎはこのことだけから見いだされることを理解しないで、多くの人がそれを探し求めます。

     イエスの愛の中に生きることは、「安らかないこいの場に住む」〔イザヤ 32・18〕ことです。

     祈り
    主よ。私にあなたのあわれみを臨ませ、
    私を生かしてください——
    あなたの律法は私の楽しみだからです。
               

    詩篇119・77

      ブックレットシリーズ No.5『わたしのところに来なさい』より

      

      

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