重荷を負っている者

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     私たちの大部分は何らかの重荷を背負っています——あるときは肉体に、あるときは心に。

     肉体的な負担は重荷かもしれません。しかし、気を病み、心配事を背負うことは、重荷だけでなく挫折感も引き起こします。それらはいつも身の回りにあり、徐々に私たちの活力を奪い、幸福を破壊します。それらとともに床に就き、それらのことを繰り返し考えて、眠れない夜を過ごします。こんな場合、私たちはほんとうに重荷を負っています。

     他にも重荷があります——もっと深刻なものです。熱狂や破滅的な道楽。憎悪や復讐、名声や権力のあくなき追求。すべては自己愛から起こってきます——これらはたましいへの重荷です。

     イエスは私たちの惨めさを知っておられます。「わたしのところに来なさい。すべて、労する者、重荷を負っている者よ。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言われます。しかし、どういうわけか私たちは自分自身だけを信じ、私たちの惨めさは自分たちのものであると思い込んでいます。墓場に住みついていた人のように、私たちは、「私に何をしようというのですか? イエスよ」と叫びます。けれでも、イエスはその人を癒し、幸福に、正気に戻されました〔ルカ 8・28〕。私たちがイエスに聞き、その戒めを守りさえするなら、イエスは私たちをも癒してくださいます。

     イエスのところに行くことは、休息と新しい出発を意味します。イエスのくびきのもとで、私たちの重荷は軽くなり、イエスのことを学び始めます。ついに、正気となり、私たちは、たましいを滅ぼす激情それとあれほど重荷であった駆けめぐるような心配事ともおさらばです。

     おそらく、私たちがイエスのところに行くことを困難にしているおもな原因は、自己憐憫の中にあります。自分自身からでは私たちは休息もできず、幸福にもなれないということを、私たち自身が認めたがりません——主は私たちの創造者であられ、主おひとりが私たちのための最善の道を知っておられます。

        祈り
    主よ、あなたのあわれみを私に惜しまないでください。 あなたの恵みと真実で、いつも私を守ってください。

    詩篇 40・11

    ブックレットシリーズ No.5『わたしのところに来なさい』より

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